ガラ紡の後継としての特紡

ガラ紡の後継としての特紡

特紡(特殊紡績)はガラ紡に比べより生産性を高めた紡績です。
紡毛用コンデンサーカードを利用してリング精紡するところが特徴です。
基本的な紡績技術はガラ紡とはまったく異なりますが、ガラ紡と同様な原料を使い、ガラ紡糸と良く似た形状の太番手の糸をひくことができます。
そして特紡糸は軍手のをはじめ産業用資材、インテリア、衣料品の原糸として幅広く使われてきましたが、それらの製品群がことごとく輸入品に取って代わられた今、かつてのガラ紡のように姿を消しつつあります。
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※写真はカード機コンデンサー部分を横から見たところです
※特紡の企業数 昭和40年代後半に約200社  平成19年現在10社程度

矢作川の船紡績のようす

一旦は衰退するかに見えたガラ紡ですが、
使用する原料を西洋式紡績から出る落ち綿などを利用し、得意の太糸を生産する事に活路を見出してゆきました。

ガラ紡糸は前掛けや帯芯の素材として昭和30年代まで盛んに生産されました。
その後はより生産性の高い特紡績に取って代わられ、次第にその姿を消しました。

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※写真は矢作川の水流を利用して水車を回す船紡績のようす。

ご存知ですか?岡崎のガラ紡

ガラ紡とは日本独自の紡績技術で(和紡績)紡機を回すとガラガラと音がしたことからガラ紡と呼ばれました。
ガラ紡は信州出身の僧、臥雲辰致(がうんたっち)により明治8年に発明されました。
そして明治10年ごろには三河地方に紡機が移入されています。

ガラ紡の発明はそれまでの手紡ぎの時代に比べ、生産性を数百倍にまで高めた画期的なものでした。
この発明は明治10年の内国勧業博覧会にて鳳紋賞牌を受け同15年には藍綬褒章の叙勲を受けています。
ガラ紡は明治26年ごろに西洋式紡績技術が導入されたのを受け、一旦は勢いを失いますが、実はその後に大きな発展期を迎えることとなるのです。

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※写真は臥雲辰致とガラ紡機

なぜ作業手袋のことを「軍手」と呼ぶの?

日本において作業手袋が初めて使用されたのは、江戸時代末期の徳川幕府がフランス式軍隊を導入したときだといわれています。
当時鉄砲を操作するにさいして素手では錆の生ずる恐れがあるとして手袋を使用させたそうです。
その後明治時代においても、軍隊関連での需要が大きく、それにちなんで、軍手とよばれたようです。

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※写真は天保12年5月 江戸郊外の徳丸が原での洋式調練の様子